浜矩子氏が最近「アベノミクスの真相」(中経出版)から出されています。そこでは氏特有の面白い表現で「安倍政権はマスコミの言う『リフレ政策ではない』」として「デフレで縮んだ風船を再度膨らますのでなく、資産デフレというパンパンの風船を、シワシワの風船に結び付けて持ち上げている」と書いておられます。真に絶妙な言いまわしです。又、1990年代イギリスの状態と良く似ているとして「シティーのバブルと国民・地方の疲弊。つまり『資産インフレがいくら昂進しても、それが実物デフレの解消につながらない』としておられます。

浜氏は金融・財政・成長戦略の順にバッサ・バッサと切っていかれていますが,今回は黒田金融政策についてコメントします。

 

黒田緩和政策の政策目標は以下のようなものだとされています。

「すなわち消費者物価の上昇率2%、マネタリーベース及び長期国債ETFの保有を2年間で2倍にし、長期国債買い入れの平均残存期間を2倍にする。金融市場調整の操作目標を無担保コールレートからマネタリーベースに変更し年間60~70兆円のペースで増加するよう金融市場調節を行う。従ってマネタリーベースは138兆円(2012実績)から200兆円(2013年)、270兆円(2014年末)となる。

ところがこれでは国債価格低減・金利上昇するから、長期国債の保有期間が年間50兆円に相当するペースで増加するよう買い入れを行う。また、長期国債の買い入れ対象を40年債を含む全ゾーンの国債とした上で、買い入れの平均残存期間を現状の3年弱から国債発行残高の平均なみの7年程度に延長する。そして資産価格プレミアムに働きかける観点からETFJ-REITなどの不動産投資信託の保有残が年間1兆円、年間300億円に相当するよう買い入れを行う・・・。ざっとこういった政策を行うと発表している。」としておられます。

 

要は政府国債を日銀が従来の2倍購入する。そして発行国債の7割は日銀が買う。国債の償還の期限を2倍にする。マネタリーベースは270兆円に。これで物価を2%を目論む。そのために「それまでの資産買い入れ等の基金」を廃止してリスク資産とどんぶり勘定に。これまでの銀行ルールを廃止して日銀は国債買取機関」に大きく踏み出す。そして今まで「政府のいいなりにならない中央銀行の存在」は戦前の苦い経験から得た貴重な教訓であったにもかかわらず、簡単に破棄されてしまいました。要するに政府国債と日銀が国民を無視して、キャッチボールをする。普通なら金利上昇・国債暴落になるところ大変危ういリスク資産の形だけは格好つけて唯一の通貨発行の独占体をフルに使おうというわけです。

 

こうすれば政府は財政を気にせずにどんどん公共投資は出来る。日銀は金利上昇だけを気にしていれば良い。上がりそうだとリスク資産担保にいくらでも通貨発行が出来る。

そうすればどんな結果が起こるか。長期金利が下がったからといって企業は設備投資はしない。これはケインズ経済学の常識です。現に2013年度の企業設備投資計画は押しなべて前年度比マイナス。長期金利が安ければ借り換えか国債ETFREITで運用するかも知れない。一方設備投資がなければ企業は益々非正規雇用への依存を強めたり、労働条件を悪化して総人件費を上げない算段を強める。

そして、為替は益々円安が進み国際的にも通貨安戦争が勃発するかもしれない。しかも輸入価格は暴騰し国民生活を苦しめる。

結局国民生活へ全てのツケが回ってくる可能性が非常に強いというわけです。

これを見るとき、戦前の軍部の要求に最終的に逆らえず、国債を大増発し軍事予算の増加要求にこたえざるを得なかった苦い経験がちらつきます。

思いつきのブログなので数字間違い・勘違いあるかもしれません。アドバイス・コメント歓迎します。   

 

私のTwtterのプロフィールで子供たち・孫たちに残してやりたいものとして「諸悪の根源である戦争を何としても食い止める事・命が本当に大事にされる社会の実現」と掲げましたが、その中でもやはり日本国憲法がその核となると思います。

安倍首相の憲法改定の執念、最近の「自民党憲法改正草案」等々の動きは、またまた憲法が大変危険な状態晒されていると言えるでしょう。

言うまでもなく憲法の命は基本的人権国民主権・平和主義ですが、

改憲勢力の一番の狙いは憲法第9条です。

そもそも日本国憲法はスタート時点から日本の敗戦を受けて、変則的誕生をしたと言えます。

奥平康弘先生はその著書「生かそう日本国憲法http://tinyurl.com/lyps8h4において、9条の発案者は当時の①連合国=占領軍最高司令官ダグラス・マッカーサーとも②憲法作成・審議時の内閣総理大臣幣原喜重郎とも、あるいはその二人の話し合いによるとも③1941年のアメリカ大統領ルーズベルトとイギリス首相チャーチルが大西洋で共同で宣言した「大西洋憲章」によるとされるなど、発案者については学会でもいろいろ論議されているとされています。

しかし、どうであれポツダム宣言を受諾し連合国に無条件降伏をし、その際日本は「日本国は基本的人権と平和を尊重する民主主義国として再生することを世界に約束した」事は事実ですし、新しい国にふさわしい新憲法作りを進めることが求められたにもかかわらず、憲法作りに熱意を示さず、サボった事も事実です。

様々な政党・憲法学者などから出された民主的原案がある一方、明治憲法の枠から抜け出せず統帥権にこだわったり、治安維持法の温存にこだわったりするものまであった訳です。

そんな中で連合国最高司令部が日本国憲法の原案を作り日本国政府に参考として示し、憲法制定作業を急がせたのも事実です。

1946年2月にGHQ案がまとまり枢密院・衆議院で審議がおこなわれ修正など経て1946年11月3日日本国憲法として公布されました。

つまり、形の上では旧憲法下で合法的に成立したわけです。

この事をもって改憲派は「今の憲法は押し付けだ」とか「マッカーサーが作った」とか言っていますが、当時の国民の大多数の声は「戦争はもういやだ」「軍隊はもういらない」だったし、9ヶ月もかけて正式に国会で審議して可決されたものです。

軍隊は一度統制を離れると、もう誰にも止める事は出来ません。

戦前1930年代の頃には政治から国民生活までほとんど全てが軍の言いなりでした。今の政権がよく引用し崇める高橋是清でさえ膨張する軍部の横暴を抑えきれず、2.26で青年将校の凶弾に倒れた事は周知の事です。

旧ソ連でもアメリカとの冷戦により、ある意味では潰れてしまった大きな原因に軍部の膨脹とその為の財務負担の疲弊があった事は間違いないことでしょう。

そういった意味では軍事費の拡大する今の中国は将来的に非常に危険と言わざるを得ないと思います。

軍隊は戦争による破壊もありますが軍拡競争で歯止めが掛からないという、危険性もあります。

そういった意味でも9条を持つ日本は幸せと言えるでしょう。

確かに、戦争放棄・軍隊を持たないを憲法に持つ国は世界でも大変珍しいと言えると思います。

「有史以来の人類は常に戦争の歴史であった。護憲派の考えは理想主義・非現実だ」と改憲派は言います。

しかし・世界の憲兵たるアメリカも冷戦・ベトナム・イラクと人も物も使い果たしてしまいました。

オバマ政権になって世界の審判官になって、世界中どこにでも出て行って制裁するかつてのアメリカの影は無くなってしまっています。

パクスロマーナ、パクスブリタニカ、パクスアメリカーナの時代は終わりました。

核戦争・情報戦・無人機・核ミサイルによる攻撃・・・の時代にあって局地戦・内戦・暴動はあっても世界大戦は可能性は非常少なくなっています。

むしろ誠意ある外交力と道理ある国際協議こそ求められていると思います。

今回又、シリアの問題が起こりました。世界は又、イラクの二の舞になるのではと読んでいます。

好戦勢力は早くも自衛隊海外派兵を可能にする集団的自衛権論争を

振りまくに違いありません。

志位委員長の談話にあるようにhttp://t.co/R48WL4WlzS双方を交えて国連の場で審議こそ今求められている事ではないのでしょうか。

戦争放棄・軍事力の不保持はgenuiner過ぎる議論と言われますが、今時代は世界が本気で考え始めていると思いますが、如何でしょうか。

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( これが軍隊を持たないとされた国の軍事費です。)

 

選挙協力について

いつも不思議に思うのだが、民主派(?)と言われる評論家ほど選挙協力をよく主張する。
しかし例えば10の公約を掲げて選挙選に望むとき、例えば7つまで一致する政党と選挙協力し、相手の政党は残り3つは同意できないと言うとしよう。すると、残り3つを最も要望する支持者を裏切る事になりはしないだろうか。
勿論、国民の切実な問題に直面したとき、小異を捨てて大道に着くと言う事もあろう。しかし、これは多くの場合政策による国会・各種団体での共闘で対処出来る問題である。それでも切実な場合は、綿密な政策協定が必要になる。もし、ほとんどの政策が一致するのならば、別の政党の意味がないのではないだろうか。
国民の要求実現に誠実な政党ほど、安易な政党の組み合わせには載らないのが当たり前だと思うが、どうだろうか。

麻生発言、橋下発言。つくづく政治家の歴史認識に唖然とさせられる。よくよく考えると日本はまだ帝国憲法を抜け出せていないと言わざるを得ない。戦後民主化がアメリカの都合で不徹底に終わらされた事に原因があるように思えてならない。少なくとも政治家は学校教育以上の事は、自ら学習して貰いたい。