『浜矩子「円安幻想」-ドルにふりまわさせないために』を読んで

PHPビジネス新書から昨年末に出版された『浜矩子「円安幻想」-ドルにふりまわさせないために』http://tinyurl.com/mp79rjfを読んだ感想を述べてみたい。

これは氏の得意とする貨幣論の歴史を少ないページで振り返り、その歴史経験の中から見る「アベノミクス」なるものの危うさ・危険性が指摘されている。文章事態は理論展開したと言ったものではなく、氏独特のウイットに富んだ(芸術的・文学的と言ったら良いのか)エッセイ風に展開されている。私は氏の考えには大いに同調するところがあり、氏の多くの出版物は読まして頂いている。

私ごとだが、私の学生時代の師は名前は伏せるが、数学を使うマルクス学者といわれていたが、本人自身「私の干からびた表現につき合わされて・・・」と常に言い訳しておられた。

そんな師の書物に付き合わされた事もあり、ついつい筆者の文章も干からびたものになった面も多分にあるし、数式の理論展開には一種のアレルギーが出来てしまった面もおおいにあるように思える。数式展開のスマートさには何時もあこがれつつも、又、経済学は好きであったにも関わらず、自らの能力の事もあり、断念してしまった。その後民間に身をおき定年・年金暮らしの昨今である。

予断になったが「書評」ではなく「感想」にしたのは以上のような理由もあるからである。

 

さて、『浜矩子「円安幻想」-ドルにふりまわさせないために』であるが何せ日本史の1300年以上をわずか200ページに圧縮してあるのだから、そのスピードたるやものすごい。

平安・室町数ページ、室町が終わって秀吉の天下統一までが1ページ、

それでもさすがに江戸に入ると12ページはある。新幹線どころかリニア並だ。予断だが、リニアなどという殆ど景色も見えない超時間短縮だそうだが、こんな無駄遣い信じられない馬鹿をするものだ。

それはさて置き、そのリニアほどのスピードで氏自身も「古代から江戸末期にいたる日本の通貨史を駆け足で見た。並大抵のかけあしではなかったので、少々めまいを覚えている読者もおいでになるかもしれない。申し訳ないかぎりだ。」と断っておられる。

本当に筆者のような老人にはめまいがしてしまいそうになる。

しかし、この展開は通貨史ではなく、あの馬鹿な「アベノミクス」に焦点が当たっている事を考えれば納得がいく。

それにしても、氏の好みの「陰陽道安倍晴明」「古今亭志ん生師匠」あるいは「イエス」「シェークスピア」等の芸術・古典芸能にはついつい立ち寄って時間つぶしはしておられるようだが・・・。

こんな味付けがあるからこそ氏の文章は鋭いわりにほほえましいのかもしれない。

 

文章全体は古来から通貨に関しては武器として、命に関わるものとして人民の魂が込められている。人々を幸せにもするが、恐ろしい殺人の凶器にもなる。歴史的に人々は支配者のごまかしを見抜いてきた。

だからこそ歴代の通貨担当者はその運用には命を賭けるほど真剣であったと言ってもよいほどの情熱を掲げた。にもかかわらず、戦後は目先の利益にとらわれた弥縫策の羅列である。特に今の「アベノミクス」などその典型である。「アベノミクス」を「アホノミクス」と言い切った氏の気持ちはよく分かる。人々を奈落の底に突き落とす通貨大暴落が起こらねば心配する。

といった思いが込められているように思う。

余談になるが筆者としていくらか懸念のあるところもある。

一つは「松方デフレの松方正義氏」の評価に関してであるが、明治維新の通貨改革・経済政策で当時では、おそらく彼の右にでる者はいなかったと言ってもよいかもしれない。あれだけの難しい政治状況で通貨統一・超インフレを収束・日銀創設は彼以外では難しかったかもしれない。

しかし、筆者がこだわるのは彼の経済政策・経済理論ではない。

むしろ彼の立ち位置・支配者としての思想に関してである。

なるほど経済政策としては成功したかもしれないがその一方で秩父・信州・岡山・兵庫他全国で暴動が起きている事は周知のことである。

彼が内務卿の時、ためらうことなく集会条例他の改正を行い、各種民権運動を弾圧した。

インフレ収束には仕方ない面もあっただろうが、いきなりの言論弾圧・逮捕・投獄はいただけない。

この背景には秩禄処分で恩恵を受けた旧藩主とか豪商・都市市民は恩恵を受けたかもしれないが、小地主・百姓は米を含む農産物の暴落で瀕死の思いの農民・貧民のやりきれない思いがあったと思われる。

経済通史でそこまではと言われるのはよく分かっている。

しかし、松岡評価の端々に評価のみが感じられたので、筆者の感想を述べさせて頂いた。

 

最後に氏が「打倒円高の通貨政策と、裸の王様レスキュー隊と化した金融政策がセットになると、円の足はじつに危険にさらされる。政策不信に陥った市場によって、その足がきわめて暴力的にむしり取られてしまう恐れが出てくる。・・・その危険性と背中合わせで生きることを強いられている。そちらの方向につっ走っていかないことを、ひたすらYENするばりである。」

と氏独特のウィットで締めくくられている。

この点では筆者も全く同感である。

よく学者や評論家の中で我が国の国債保有は国内が9割を占めている。だから200%越えようともその点は大丈夫という議論もある。

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先進国でも断トツの状態である。これはOECDGDP国債発行比率を表示した。

 

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しかし、これはメガバンク・エクイティブファンドの戦略と金融ギャンブルの規模・彼らの行動パターンの本質を理解していないからこその議論であると言わざるを得ない。

すでにこんな動きも出てきている。、http://tinyurl.com/lbruv4g

国内メガバンクは国家国民のためにはたして、その利益のチャンスを見逃だろうか。

筆者にははなはだ疑問に思える。

以上、読後の感想であるが、読者諸氏の批判・感想を是非お聞かせ頂きたい。

                                 筆者