緊急:京都新聞の広告について
January 27
 

1月26日(日曜日)付の京都新聞の選挙広告について。

千住博京都造形芸術大学学長当時に候補者を応援してきた経緯から、今回も推薦者として名前を連ねてきておりました。ですが、千住はアーティストとして、意見の多様性や、議論の必要性を大切にしています。今回のような、ある特定の党を排他するようなネガティブキャンペーンには反対です。

まるで千住博がこの様な活動に同意しているような意見広告に、千住の許可なく無断で掲載されたことを大変遺憾に思います。

2004年4月1日(木)「しんぶん赤旗」 尖閣諸島は日本領なのですか?

 


 〈問い〉 尖閣諸島を日本領土としたのは、日清戦争中だったと聞いています。日清戦争で日本の植民地となった台湾は戦後、中国に返還したのに、なぜ、尖閣諸島は日本領なのですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 尖閣諸島は、魚釣島、北小島、南小島、久場島大正島の五島と、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬岩の三岩礁からなり、面積は5・56平方キロメートルで、甲子園球場の約百四十個分の広さです。

 一八八五年(明治十八年)以降、日本政府は再三にわたり現地調査し、これが無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認の上、一八九五年一月十四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行ない、日本の領土に編入しました。その後、日本人が居住して、かつお節工場がつくられるなど、日本が実質的に支配してきました。

 この時期が日清戦争(一八九四年八月~九五年四月)と重なっていたことから、中国は、日本が戦争に乗じて尖閣諸島を不当に奪ったと主張しています。しかし、尖閣諸島編入は不当な領土拡張ではなく、日清戦争とはまったく無関係です。

 日清戦争終結のための日清講和条約(一八九五年四月)は、台湾・澎湖諸島の日本割譲を決めました。これが日本側の不当な領土拡張であることは明らかですが、このなかに尖閣諸島は入っていません。交渉過程でも尖閣諸島の帰属問題はとりあげられませんでした。

 一九四五年、日本の敗戦により、カイロ宣言およびポツダム宣言にしたがって、台湾と澎湖諸島など日本が中国から不当に奪った地域は中国に返還されました。尖閣諸島はこのなかに含まれず、中国側も日本のポツダム宣言の受諾当時、尖閣諸島を要求していませんでした。

 この事実から、尖閣諸島の領有権が日本にあることは明らかですが、一九七一年以後、中国も領有権を主張しています。

 日本共産党は、領有権問題は平和的な話し合いを通じて、解決することが必要だと表明しています。(

 〔2004・4・1(木)〕

「知りたい聞きたい 」そもそも元号って何? 2019年4月2日(火) 赤旗

 

  政府は1日、新元号を「令和」とすることを発表しましたが、そもそも元号とは何ですか?

  もともと元号は、古代中国で「皇帝は国の民衆も時間も支配する」という考え方に基づき、皇帝が年を表記する起点=元(年)を定め、それに名前をつけたのが始まりです。前漢(紀元前202年~紀元後8年)の武帝が最初といわれます。日本は7~8世紀にかけて、それをまねて元号制を始めました。

 「一世一元」も、中国からの輸入です。中国では、明(1368年~1644年)に始めたもので、清朝もそれを踏襲しました。

 日本では江戸時代までは「祥瑞(しょうずい)」(めでたいこと)や「災異」(災害など)を理由に、年初とも関係なく変更(改元)してきました。代替わりに際して、改元できなかった天皇もいました。

 それを明治政府が改め、1868年、「天皇1人につき一つの元号」という「一世一元」を制度化しました。天皇の絶対的、神格的な権威を国民に浸透させるためでした。皇位継承を定めた旧皇室典範と「登極令」で明文化されました。

 戦後、元号制度は、旧皇室典範、「登極令」が日本国憲法の下で廃止され、法的根拠がなくなりました。しかし、「天皇の元首化」を目指す自民党政府は元号法(1979年)で元号制度を復活、固定化しました。

 元号などの紀年法には民族や宗教によって独自のものがありますが、現在では西暦が実質的な世界標準です。中国でも辛亥革命(1911年)で清の終わりとともに元号は廃止され、元号使用国は世界で日本だけとなっています。

 

 

千島問題をなぜ「北方領土問題」と呼ぶ?

 

2010年1月27日(水)「しんぶん赤旗

 

 〈問い〉政府やマスメディアは、千島問題を「北方領土問題」と呼んでいます。日本共産党の全千島返還要求との違いを教えてください。(東京・一読者)

 〈答え〉千島列島は、北海道に近い国後(くなしり)、択捉(えとろふ)からロシアのカムチャツカ半島の南西に隣接する占守(しゅむしゅ)までの諸島を指します。この千島列島全体が、1855年に江戸幕府帝政ロシアが結んだ日魯通好条約と、75年に明治政府と帝政ロシアが結んだ樺太・千島交換条約とにより、戦争ではなく平和的な交渉で日本領土として確定しました。

 これらの島と、もともと北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)とを、第2次世界大戦直後に不当に併合したのがソ連でした。ですから日本共産党は、ソ連および今のロシアに対し、全千島と歯舞、色丹を返還するよう主張してきました。

 ところが日本政府は、千島の南半分の国後、択捉と、千島に含まれない歯舞、色丹のみ返還を求めています。これは日本政府が、1951年に各国と結んだサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄するという重大な表明をおこないながら、56年になって「国後、択捉は千島に含まれない」との見解を出し、歯舞、色丹と合わせ「北方領土」として返還を求め始めたからです。この立場は国際的には通用せず、日ロ間の交渉の行き詰まりと迷走の一因ともなっています。

 そもそも日ロの領土問題は、第2次世界大戦末期の45年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦条件として千島列島のソ連への「引き渡し」を求め、アメリカとイギリスが認めたことに始まります。これは米英ソ自身が公約した「領土不拡大」という第2次大戦の戦後処理の大原則に反する行為であり、日本政府はそれを正すという大義を明確にする必要があります。具体的には、サンフランシスコ条約にある千島放棄条項を絶対視せず、歴史的な根拠、国際的な道理を示して堂々と全千島返還をロシアに求めるべきです。歯舞、色丹については、千島列島の返還や日ロ間の国境画定・平和条約を待つことなく、速やかな返還を求めるのが筋です。(田)

 〔2010・1・27(水)〕

『浜矩子「円安幻想」-ドルにふりまわさせないために』を読んで

PHPビジネス新書から昨年末に出版された『浜矩子「円安幻想」-ドルにふりまわさせないために』http://tinyurl.com/mp79rjfを読んだ感想を述べてみたい。

これは氏の得意とする貨幣論の歴史を少ないページで振り返り、その歴史経験の中から見る「アベノミクス」なるものの危うさ・危険性が指摘されている。文章事態は理論展開したと言ったものではなく、氏独特のウイットに富んだ(芸術的・文学的と言ったら良いのか)エッセイ風に展開されている。私は氏の考えには大いに同調するところがあり、氏の多くの出版物は読まして頂いている。

私ごとだが、私の学生時代の師は名前は伏せるが、数学を使うマルクス学者といわれていたが、本人自身「私の干からびた表現につき合わされて・・・」と常に言い訳しておられた。

そんな師の書物に付き合わされた事もあり、ついつい筆者の文章も干からびたものになった面も多分にあるし、数式の理論展開には一種のアレルギーが出来てしまった面もおおいにあるように思える。数式展開のスマートさには何時もあこがれつつも、又、経済学は好きであったにも関わらず、自らの能力の事もあり、断念してしまった。その後民間に身をおき定年・年金暮らしの昨今である。

予断になったが「書評」ではなく「感想」にしたのは以上のような理由もあるからである。

 

さて、『浜矩子「円安幻想」-ドルにふりまわさせないために』であるが何せ日本史の1300年以上をわずか200ページに圧縮してあるのだから、そのスピードたるやものすごい。

平安・室町数ページ、室町が終わって秀吉の天下統一までが1ページ、

それでもさすがに江戸に入ると12ページはある。新幹線どころかリニア並だ。予断だが、リニアなどという殆ど景色も見えない超時間短縮だそうだが、こんな無駄遣い信じられない馬鹿をするものだ。

それはさて置き、そのリニアほどのスピードで氏自身も「古代から江戸末期にいたる日本の通貨史を駆け足で見た。並大抵のかけあしではなかったので、少々めまいを覚えている読者もおいでになるかもしれない。申し訳ないかぎりだ。」と断っておられる。

本当に筆者のような老人にはめまいがしてしまいそうになる。

しかし、この展開は通貨史ではなく、あの馬鹿な「アベノミクス」に焦点が当たっている事を考えれば納得がいく。

それにしても、氏の好みの「陰陽道安倍晴明」「古今亭志ん生師匠」あるいは「イエス」「シェークスピア」等の芸術・古典芸能にはついつい立ち寄って時間つぶしはしておられるようだが・・・。

こんな味付けがあるからこそ氏の文章は鋭いわりにほほえましいのかもしれない。

 

文章全体は古来から通貨に関しては武器として、命に関わるものとして人民の魂が込められている。人々を幸せにもするが、恐ろしい殺人の凶器にもなる。歴史的に人々は支配者のごまかしを見抜いてきた。

だからこそ歴代の通貨担当者はその運用には命を賭けるほど真剣であったと言ってもよいほどの情熱を掲げた。にもかかわらず、戦後は目先の利益にとらわれた弥縫策の羅列である。特に今の「アベノミクス」などその典型である。「アベノミクス」を「アホノミクス」と言い切った氏の気持ちはよく分かる。人々を奈落の底に突き落とす通貨大暴落が起こらねば心配する。

といった思いが込められているように思う。

余談になるが筆者としていくらか懸念のあるところもある。

一つは「松方デフレの松方正義氏」の評価に関してであるが、明治維新の通貨改革・経済政策で当時では、おそらく彼の右にでる者はいなかったと言ってもよいかもしれない。あれだけの難しい政治状況で通貨統一・超インフレを収束・日銀創設は彼以外では難しかったかもしれない。

しかし、筆者がこだわるのは彼の経済政策・経済理論ではない。

むしろ彼の立ち位置・支配者としての思想に関してである。

なるほど経済政策としては成功したかもしれないがその一方で秩父・信州・岡山・兵庫他全国で暴動が起きている事は周知のことである。

彼が内務卿の時、ためらうことなく集会条例他の改正を行い、各種民権運動を弾圧した。

インフレ収束には仕方ない面もあっただろうが、いきなりの言論弾圧・逮捕・投獄はいただけない。

この背景には秩禄処分で恩恵を受けた旧藩主とか豪商・都市市民は恩恵を受けたかもしれないが、小地主・百姓は米を含む農産物の暴落で瀕死の思いの農民・貧民のやりきれない思いがあったと思われる。

経済通史でそこまではと言われるのはよく分かっている。

しかし、松岡評価の端々に評価のみが感じられたので、筆者の感想を述べさせて頂いた。

 

最後に氏が「打倒円高の通貨政策と、裸の王様レスキュー隊と化した金融政策がセットになると、円の足はじつに危険にさらされる。政策不信に陥った市場によって、その足がきわめて暴力的にむしり取られてしまう恐れが出てくる。・・・その危険性と背中合わせで生きることを強いられている。そちらの方向につっ走っていかないことを、ひたすらYENするばりである。」

と氏独特のウィットで締めくくられている。

この点では筆者も全く同感である。

よく学者や評論家の中で我が国の国債保有は国内が9割を占めている。だから200%越えようともその点は大丈夫という議論もある。

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先進国でも断トツの状態である。これはOECDGDP国債発行比率を表示した。

 

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しかし、これはメガバンク・エクイティブファンドの戦略と金融ギャンブルの規模・彼らの行動パターンの本質を理解していないからこその議論であると言わざるを得ない。

すでにこんな動きも出てきている。、http://tinyurl.com/lbruv4g

国内メガバンクは国家国民のためにはたして、その利益のチャンスを見逃だろうか。

筆者にははなはだ疑問に思える。

以上、読後の感想であるが、読者諸氏の批判・感想を是非お聞かせ頂きたい。

                                 筆者